2016.05.25 Wednesday

田端義夫は昭和30年の「親子舟唄」を最後に以降ヒット曲に恵まれず、グラモフォン、マーキュリーとレコード会社を移籍して、それまでの歌唱法を変えてイメージチエンジを試みたもののいずれもパットしなかった。
そして昭和36年に古巣のテイチクに復帰した時、「別れ船」「かえり船」「かよい船」の「船もの」三部作でヒットを連発した長年のコンビの倉若晴生は彼のために復帰記念のその名もずばり「戻り船」を作曲した、しかしこの時もう一人のコンビ作詞家の「清水みのる」はビクターに転出していて不在、代わって「大高ひさを」が詞を書いた。
黄金コンビでの過去の栄光にもかかわらず「戻り船」は期待されたがヒットにはならなかった、しかしその翌年の昭和37年に「島育ち」を会社の反対を押し切ってレコーディングすると40万枚を超える大ヒットとなり奇跡のカムバックを果たした。
改めて「戻り船」を聴いてみると、さすが倉若晴生とうならせる、出来栄えの良い曲。

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