ぶろぐろじん

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忠義ざくら
忠義ざくら 三門順子 S16 KIN 南条歌美作詞 細川潤一作曲

後醍醐天皇が隠岐に流される途中、津山の院の庄に立ち寄った時、児島高徳と言う武将がお救いせんものと遠方からるばる来たが、警戒が厳しく諦めざるを得ず桜の幹を削って漢詩を書き残したとの故事を唄ったもの。
〜天勾践を空しうするなかれ時に范蠡なきにしも非ず〜
津山市のご当地ソングでもあり、宴会の席で子供の時から良く聴かされてきた。
戦時中は歌詞の内容が忠考の模範の曲でもあり教科書にも取り入れられた。



三門順子の芸域は大変広く、長唄、清元、常磐津、小唄、特に詩吟が得意で忠義ざくらの中にも詩吟が取り入れられている。
忠義ざくらを作曲した細川潤一は昭和10年当時駆け出しの作曲家で東海林太郎と共晶の「新納涼音頭」の宣伝キャンぺーンに伴奏者として参加したのが三門順子との出会いだった、三門順子母娘は親切で世話好きで多くの人に愛された、彼女の母親は細川潤一が独身なのをみかねて嫁を世話した。

戦前のレコードと言うものはレコード売り上げ記録が残って無いので、戦後でも歌い続けられている曲以外はどの程度ヒットしたのか判らない、当時の人が言っているのを信用するしかないが、その人たちも遠い西の空に行かれ聞くこともできない、ナツメロ会に来ている会員で三門順子を知っているものはほんの少数であろう。
auther : 夏目魯人 | - | comments(3) | trackbacks(0) |
コメント
先だってsekohannさんからご指摘をいただいた三門順子の曲は「忠義ざくら」をはじめ、たしかに何度か聴いた記憶はあります。(詩吟が挿入されていたのも覚えています。)

ただ若くして亡くなったためか、懐メロブームの頃も松島詩子ほど放送で紹介される機会が多くなかったようです。

テレビで「なつかしの歌声」が始まって間もなく亡くなった岡晴夫、戦後悲劇的な死を遂げた楠木繁夫、戦前トップスターだった上原敏や松平晃は別として、北廉太郎、加藤勉、高山美枝子、小西潤、真木不二夫などの故人は、なかなか放送では取り上げられなかったと思います。
| ガタビシ | 2017/04/05 7:51 PM |
ガタビシさん、あなた何年の生まれ、戦前のヒット曲がどれだけ売れたらヒット曲かと云うのが、わからなければ、売れた・売れないを知ってる・知らないは言えないのではないですか?国(軍隊)が買ったなどもあり、たまたま三門の曲が「愛馬行」だけというのも、可笑しいのでは、いまは東海林太郎・霧島昇・小畑実・まして田端義夫だって中年が知らないのですから、いちがいにヒットがなかったはないですよ。
| sekohann | 2017/04/05 9:51 PM |
「売れた・売れない」を問題にしているのではありません。魯迅様のおっしゃるように、売上枚数の記録がなければ、客観的にどれくらい売れたか(ヒットしたか)はわかりないでしょう。

私は戦後のいわゆるリバイバルブーム(昭和30年代後半から)の時、どれくらい放送されたか個人的な記憶を申し上げているだけです。
| ガタビシ | 2017/04/06 9:45 AM |

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