2015.01.28 Wednesday

板割の浅太郎が忠治の命を受け、勘太郎の親である御室の勘助を殺害したが裏切りは忠治を救うためのものであったと釈明、遺児の勘太郎の面倒を託して果てる、浅太郎から仔細を告げられた忠治も身の不明を恥じて勘太郎を背中に逃亡の旅に出る。
この時、勘太郎は何歳だつたのであろう、絵では3歳くらいに見えるが、色々調べたが歳まで書いた記事に出くわさない。
忠治は後に処刑されるのだが勘太郎はどうなったのか成人したのだろうか。

この勘太郎が出てくる流行歌は
親恋勘太郎(田端義夫)、勘太郎しぐれ(田端義夫)、木曽路の子守唄(田端義夫)、勘太郎子守唄(東海林太郎)、赤城の子守唄(東海林太郎)、忠治子守唄(東海林太郎)、浅太郎しぐれ(東海林太郎)、忠次勘太郎旅姿(藤井 貢)、浅間夜嵐(竹山逸郎)、浅太郎子守唄(竹山逸郎)

コメント一覧

  • ご無沙汰しています、
    沢山のカラオケ今でも楽しく歌わせて頂いています、
    有難うございました、
    板割の浅太郎は三浦洸一も昭和31年に東海林太郎と同名異曲の「浅太郎しぐれ」を出していますね、
    先生の懐かしの流行歌、戦後流行歌一覧で年代を調べさせて頂きました、
    2番の詩♪泣くな勘太郎 男じゃないか…
    詩:吉川静夫 曲:吉田 正
    今日YouTubeにこの曲をUPしましてブログを拝見しましたら未だ健在の三浦洸一の曲が落ちていましたのでちょっと残念に思いコメントを書かせて頂き失礼致しました。

    [rocky] 2015/02/01 2:55 AM

  • 赤城山関連の歌は数多く有りますが最後まで聴いてみなければ勘太郎が出てくるかどうか判らず途中でしんどくなって止めてしまいました、こうして投稿していただければ幸いです。
    この板割の浅太郎が背中に勘太郎を背負ったのは勘助を殺害したあと彼から勘太郎のことを頼まれ忠治のもとに帰る短い間であり「浅太郎しぐれ」などのように浅太郎が長い旅にでたのではないようです。
    板割の浅太郎は忠治と別れたあと仏門に入って明治の世まで生きたとなっていますが真偽はどうか、「浅太郎月夜」にはお京と言う恋人があるように唄われています。
    それにしても忠治は追われる身で勘太郎を背負って逃亡とは長い間はどだい無理なような、8年後には磔にされるわけだから、勘太郎はどうなったのか、知り合いにでも預けたのだろうか

    [魯人] 2015/02/01 8:30 AM

  • 板割の浅太郎で検索していたら発見がありました。
    箱根駅伝に出てくる遊行寺の坂にある遊行寺に板割の浅太郎の墓が有るようです。
    解説板に浅太郎こと(大谷浅太郎)が貞松院住職列成和尚で墓の主ですとある。

    [魯人] 2015/02/01 10:09 AM

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